旅の記録(詳細)

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写真家が見たサハリン

プロフィール

名前:佐藤憲一

職業:写真家

プロフィール:1963年生まれ。主に東アジアをフィールドに活躍する写真家。日本写真家協会(JPS)会員。

初めてサハリンに行ったのは去年(2017年)の6月。 それ以前はサハリンといわれても特に印象もなく、戦前は「樺太」として日本の領土だったこともなんとなく知識の片隅にあったぐらいだった。 戦前は日本だったサハリンも現在はロシアなので、事前にビザを取得する必要があるが、成田からサハリンの中心都市ユジノサハリンスクまでは、ヤクーツク航空で2時間。 思っていたよりもとっても近くてびっくりだ。 地図で確認してみると、北海道の稚内からそう遠い距離ではなく、船も就航しているのだそうだ。 夜行列車も何回か利用しつつ、ノグリキまで北上してまた戻ってくるというハードスケジュール。 印象深い8日間の旅だった。

サハリン夜行列車の旅

ユジノサハリンスクに着いた翌日の夕方、サハリン鉄道最北端のノグリキに夜行列車で向かった。 いかにも「ロシアのおばちゃん」といった雰囲気の車掌さんたちはとても親切にしてくれた。 ノグリキを一日歩き回った後、また夜行列車でボロナイスクまで南下。 僕らはコンパートメントの寝台を取ったが、隣の二等寝台の車両は個室ではなく和気あいあいとした雰囲気。 「こんにちは!」とカメラを向けると、ロシアの学生が恥ずかしそうに笑顔を返してくれた。 車窓から見えた針葉樹林の森に輝く夕焼けも見事だった。 ボロナイスクでは戦前、日ロの国境線だった北緯50度線に残る国境碑跡も訪ねた。 そして、また夜の列車で南下。 早朝に着いたドリンスクで、列車の運転手にカメラを向けるとニコニコしながらピースサインをしてくれた。 夜行列車とはいえサハリンの鉄道は食堂車がついていない。熱湯は使い放題なので、みんなカップラーメンを持ち込んで夕食にしていた。 ちょっと残念だったのは、せっかくウォッカを買って持ち込んだのに列車内が禁酒だったことだ。

ユジノサハリンスクの教会

ロシアではキリスト教の一派であるロシア正教が信仰されている。 ユジノサハリンスクの中心部、サハリン州郷土博物館のすぐ近くにも青い屋根のかわいい教会がある。 たくさんのイコン(宗教画)が飾られていてその美しさにびっくりする。 そして、日曜日のミサに行くことができれば、さらにその何倍も感動するだろう。 写真では伝えられないのが残念だが、合唱隊による厳かな聖歌が教会の中に響き渡り素晴らしいコンサートを聞いているかのようだ。 宗教がロシアの人々の生活の中に根付いていることを実感する。

サハリンの子どもたち

ロシアの人と接する機会が今までにほとんどなかったので、どちらかというと冷たい人たちが多いのではないかという漠然としたイメージをもっていた。 が、今回、サハリンにいってみて、実はとっても親切で奥ゆかしいロシアの人たちにすっかり親近感を持ってしまった。 同じ東アジアの同朋である中国や韓国の人たち以上に日本人に近いメンタリティを感じた。 サハリンのあちこちで、子どもたちの写真も撮らせてもらった。

王子製紙工場跡

今回のサハリン旅行の中で、最も印象的だったのは王子製紙の工場跡だった。 戦前は、紙の材料になる針葉樹林が多いサハリンが日本の紙生産の主要産地だったということを寡聞にして知らなかった。 王子製紙の工場がサハリンのあちこちでフル稼働していたのだそうだ。 そして、その工場跡が、いまだに廃墟のままあちこちに残されていた(戦後も2000年前後ぐらいまではロシアの人たちにより工場は稼働していた)。 「廃墟」の代表格である長崎の軍艦島を訪ね撮影したこともあるが、サハリンの王子製紙工場跡の廃墟の迫力はそれにも負けないものだった。 なによりもほとんど手つかずに残されていて、自由に歩き回れること自体が稀有なことだった。安全面等の問題もあり日本では考えられないことだろうが、サハリンでは子どもたちの遊び場と化していて、その子どもたちが僕らを案内してくれた。 ホルムスク(真岡) ポロナイスク(敷香) ドリンスク(落合) コルサコフ(大泊) ユジノサハリンスク(豊原)